86年メキシコで世界最高の大会が開幕すると、一人のブラジル人選手の足を食い入るように見つめ続けた日本人がいた。ミズノ株式会社アスティック事業部マーケティング部の安井敏恭である。当時25歳、入社7年目。84年にMラインからランバード・ラインに変ったミズノのサッカーシューズの基礎を作り、85年に『モレリア』を開発した人物だ。
この大会でのブラジルは、多くのスター選手を擁し、1次リーグをスペイン(1−0
決勝トーナメント1回戦でもポーランドに4−0と完勝したブラジルは、準々決勝でフランスと対戦した。この試合でブラジル唯一のゴールをカレッカが決めたとき、安井は自分がゴールしたような感動を味わった。結局、同点に追い付かれて1対1で延長に突入、それでも決着はつかず、PK戦の末に3対4でブラジルは負けてしまったが、この大会の歴史に残る名勝負だった。

ブラジル vs フランス戦を観戦後の安井。
涙で目が赤い。 |
試合終了後、安井は涙が止まらなかった。
「ブラジルが敗れた悲しさとカレッカが素晴らしいプレーをしてくれた喜び。二つの感情で胸が一杯になり、大泣きしてしまいました」
テクニックを重視するブラジル人選手たちの要望に応えることが、ミズノのシューズの品質を向上させると信じて、安井はシューズ開発に取り組んできた。そして、この試合は自分の作ったサッカーシューズが世界最高レベルのプレーに対応できることを証明してくれた。この大会での活躍が認められたカレッカは、翌年、イタリアのナポリに移籍し、セリエAの頂点に立った。そして、『モレリア』もカレッカとともにヨーロッパに進出し、進化を遂げることになる。
次回は『モレリア』の原点について語ることにしよう。ブラジルで日本人初のプロサッカー選手になり、名門サンパウロFCで活躍したミズシマ・ムサシと安井の出会いが、『モレリア』誕生の原動力になった。 |